マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

自分の存在にチューニングすることから始める

内科医として働き始めたころから関心のあった「日本死の臨床研究会年次大会」に参加した。

医師、看護師、コメディカル等の医療職スタッフは日常的に死と隣合わせており、言語化しにくい、または自身も気がつきにくい負荷を受けているように思う。私が研修医を終わり、市中病院で働くようになった3年目の時のことである。1人の患者さんの死亡確認をし、家族の悲嘆に圧倒されながら病室から出てきた途端、別の患者さんの状態悪化を知らせるスタッフに呼び止められた。悲しみに同調していた内面に無理やり蓋をして、次の現場へ急いだことをつい昨日のことのように思い出す。

上記研究会の1日目、午後3時間をかけて、曹洞宗の藤田一照師による「GRACEプログラム」についてのセッションが行われた。臨床の場で働く者のバーンアウトを防ぎ、臨床現場で適切な働きを提供し続けることができるよう援助するプログラムである。米国の人類学者であり禅僧であるジョアン・ハリファックス師によって考案され、活用されている。

藤田師の話の中で、帚木蓬生師の同名著作提示とともに「ネガティブ・ケイパビリティー」という語が出た。その途端、私が日々必要としながら、言葉に出来ないまま求めていたのはまさに、「持続するネガティブな状況の中での自分のあり方」だと思った。

乱暴でこころ苦しい言い方であるが、内科臨床の場には、病(やまい)や加齢など何らかの原因による「弱さ、欠損、低下」というネガティブな状況に遭遇した人々が来られることが多い。嚥下能力が低下し、誤嚥性肺炎となる。四肢の筋力が落ち、歩行困難となる。それまでできていたことが出来なくなるのである。ご本人もご家族も、失っていくことを頭ではわかっておられるとしても心情としては受け入れがたい。

臨床の場で主役は患者さんとご家族である。彼らが直面しているネガティブな重荷は、同じ現場にいるとしても私たち医療者とはレベルが違う。しかし医療者は複数の患者さんとご家族に連日、それも何年、何十年と出会い続けている。層状に重さが積み重なっていく。死に直面し、自分も悲しい、辛い。悲しむ家族の前で無力で心苦しい、と感じているのに、まるで無いかのように底の方に押しつぶす。あとで振り返る自分のケアも出来ていなかった。そして次々に対面し、関わる患者さんとご家族に、「プロなのだから当たり前」と、今出来るベストを提示することだけを自分に要求し続けてきたように思う。

「GRACE」のGは注意を集中させる、Rは動機・意図を思い起こす、Aは自他の思考、感情、身体感覚に気づきを向けるトレーニングの頭文字である。医療者自身が、今、この場に十全に存在し、自分の存在そのものにチューニングできていることが、臨床の場での奉仕の「前提」とされている。その後、C:何が役に立つかを熟考し、E:行動を起こし、終結させる、といった行動が始まる。

 プログラムが教えているのは、どのような場で働く者にも必要な基本姿勢であるように思える。興味を覚えた方には、ジョアン・ハリファックス師の著書を直接、手に取っていただけたら、と願う。

(Sr. M.O)