マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩みー42

難航した病院の土地選び 

1928年5月、南と北の共同体を訪問中のクリゾストム管区長は、土地の件についてシャンボン司教と戸塚師の三者間で手紙を交しながら具体的に話を進めました。会長に詳しく報告し、意見を求めつつ、病院にとって最適な場所を探し続けました。郊外の空気のよい土地であると同時に、貧しい人たちの診療にも好都合な交通の便のよい土地となると、その選定には並々ならぬ苦労がありました。

シャンボン大司教は管区長に新宿区の下落合にある土地を提案し、その利点として、広大である上に安価であること、病院と老人ホ-ムの二つの事業を同じ敷地に建てることができること、 更に事業が発展すれば、シスタ-たちはその空き地を自由に使えることなどを挙げて、「この機会を逃してはいけない」と書き送っています。他方、戸塚師は、「東京の街には豪華な病院が沢山あるので これに対抗できるような病院を建てなければ患者が来ない。静かで環境も良くコミュケ-ションが容易に取れる主要交通網の近くにある神宮一帯の土地の方が適切である」と考えていました。

6月1日、管区長は、会長から「5千坪の土地購入を認可する」という電報を受け取ると、戸塚師に宛てて次のような手紙を書いています。

会長は申し出のあった土地を受け入れるそうですが、実際に購入する前に神父様がお書きくださった不都合な点について十分に調べたいと思います。この事業に関心を示してくださり、心から感謝いたします。しかしながら、本会は 街に土地を購入する大きな出資は出来ないと思います。申し出のある土地を購入するにも非常に大きな努力が必要なのです。というわけで、街の土地や私共にとって高すぎる土地は諦めなければならないと思います。あとはどの地域が最も適当であるか見極めることですが、私共が気に入っているあの土地は発展性があるように思います。長い家並みとバス路線がありますから。

そして、即座に大司教に「落合の土地を確保してくださるようにお願いします。」と打電しました。すると、その3日後に、戸塚師から次のような手紙が届きました。

下落合の土地は素晴らしく値段も手ごろですが、病院として条件はあまりよくない。私は心からカトリック病院の発展を思い、再々自分の考えを述べさせてもらいました。どうぞ、再検討の上、ご自由にお決めください。申すべきことは全て申しましたので、このことについて今後繰り返し申し述べるつもりはありません。

管区長も手紙で戸塚師の善意に感謝し、次のように書いています。

4200坪の落合の土地

4200坪の落合の土地

神の摂理は決して私達をお見捨てにはなりません。聞くところによると、落合地域は将来性があるそうです。初めの頃は難しいでしょう。私にはあなたが愛深いお方であることがよく分かります。本当に私達の病院を東京に建てたいなら、私達も多少の危険は引き受けなければならないでしょう。都心から遠くとも、しばらくはここで十分でしょう。

 

管区長は、大司教の指示通り、病院建設計画を本格的に進めていきました。南と北にある共同体の訪問をすべて終え、7月2日に東京へ戻った管区長は四谷にあるサン・モ-ル会修道院に宿泊しながら最後の打ち合わせに入りました。これらの用件が済むと管区長は直ちに中国へ戻り、それ以後は緊急事態の発生で中国を離れることが出来ず、管区長の来日は建築工事終了までありませんでした。しかし会長、管区長、大司教、戸塚師の四者間で手紙や電報の交換は相変わらず続けられました。

こうして、シャンボン大司教が 宣教の広い視野に立って購入した土地に老人ホ-ムと病院が建てられることになりましたが、最終段階で困難な問題に直面しました。その一つは建設計画中に地元住民によって引き起こされた病院建設反対運動、もう一つが大司教の依頼で一時的に「恵老院」へ働きに行った2人の姉妹の苦い経験でした。