マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

FMM日本管区の歩み-41

管区長M.クリゾストムの日本訪問 

1928年(昭和3年)3月、サン・ミッシェル会長は、東京教区待望の国際病院を建てるために、管区長のM.クリゾストムを日本へ送りました。当時、日本の共同体は、中国北部、満州、モンゴルと同じ管区に属していました。管区長は、中国の各所に波及していた内乱の銃弾が飛び交う中を、また一歩踏み外せば千仞の谷底へ転落する断崖沿いを、様々な危険を潜り抜けながら、飢餓、伝染病などに苦しむ人たちの施設を開くために奔走する日々を送っていました。

3月19日、M.クリゾストムは、未だ見たことのない日本へ向けて中国を出港し、その10日後、門司港に着きました。この訪問の目的は東京にカトリック病院を開く準備のためですが、東京でシャンボン大司教と会う約束の5月2日まで、南と北にある三つの修道院を訪問しています。南にある熊本と人吉の修道院では、主に ハンセン病院や診療所、老人・子どもの施設を見て、日本における病院経営を学びました。熊本滞在中に、管区長は駐日教皇使節から「6年間待ち続けた東京の新しい創立に取りかかってくださり、大変嬉しく思います。」という手紙を受け取っています。

南にある修道院の訪問を終えて東京へ移った管区長は、サン・モ-ル修道会に身を寄せながら 駐日教皇使節、シャンボン大司教、戸塚師を訪問し、病院設立計画を具体的に進めるために、最終的に候補地として残った2か所の土地を見てまわりました。その一つは、下落合にある5000坪の広大な土地で、坪48円の安価な土地でした。もう一つは、明治神宮一帯にある3500坪の狭い土地で、坪150円~250円という高値の土地でした。特に難航したのはこの土地選びでした。シャンボン大司教は、病院建築のためには広大な土地が必要であるから明治神宮一帯の土地では狭すぎる上に、資金面で無理であるということで広い下落合の土地の方を望み、戸塚師は神宮一帯の土地の方が病院用地としては適切であると考えました。郊外の空気の清い健康な土地であると同時に貧しい人たちの診療にも好都合な交通の便のよい土地となると、その選定には並々ならぬ苦心を要しました。

教会が「東京にカトリック病院建設の計画」をカトリック雑誌 「声」で初めて公表したのは丁度その頃でした。それには次のように書かれています。

慈善事業の家元とも言うべきカトリック教会では、函館、札幌、秋田、金澤、神山、熊本、久留米、八代などの諸地方に 、それぞれ病院を開設して救霊、施療など慈善会に大いに貢献してきた。それなのに日本の首都である東京には未だ一つの病院さえない現状に、聖職者も一般信徒も大変残念に思い、これが 一日も早く 設立されることを望んできた。それで、先年、麻布教会に生まれたカトリック婦人会の方々が率先して、この希望の実現のために ツルベン師のもとで バザ-や音楽会などを数回開催し、東京の各教会の婦人たちにも呼びかけて基金集めに奔走したが、病院を開設できる程までになっていない。病院の経営は、熊本市内の待労院で成功している修道会に委ねることが最善策である。この病院の経営者はマリアの宣教者フランシスコ修道会という修道会で、この会は 札幌にも病院を経営しているが、今回、東京の方もこの会に依頼したところ 承諾を得たので やがては、堂々とした病院の開設を見ることができるものと期待されている。この修道会はおよそ50年前にフランスの貴族の婦人たちによって創設され、専ら慈善事業につとめて大いなる成功をおさめ、こんにちでは万国に亘る人種と階級の会員から成り、豊富な資金と強大な勢力をもって熱心に取り組んでいるので、東京に病院を開設するためにも最適任の経営者であるということは誰も信じて止まない。

この記事から「東京国際病院」の設立がカトリック教会あげての大仕事であったことが分かります。それだけに土地選びは慎重でした。M.クリゾストムは、土地の件について会長に手紙で詳しく報告し、その意見を求めるとともに、シャンボン大司教が本会に引き受けてほしいと要請していた麻布カトリック婦人会経営の老人ホ-ム「恵老院」を訪問し、会長にこれに応じるように勧めています。

「東京国際病院」の土地選びが難航している間に、管区長は、札幌修道院の視察に出かけ、北広島の修道院創設と病院や養護施設の開設にも関わることができました。また、札幌で過ごした2か月間の生活を通して中国人と日本人の性格の大きな違いを体験し、「異教色の濃い国」の辺境地に住む人への宣教を目的につくられたオブラ-ト制がビルマ、中国、チベット、インドと同じ様に北海道の中心都市・札幌でも採用されていることに疑問を抱き始めました。

札幌滞在中も、管区長・大司教・戸塚師との三者間で 手紙が頻繁に交わされ、「恵老院」の本会受諾が土地問題よりも早く決まりました。