マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

Sr. マリア濱﨑セリの巻

昨年の12月10日100歳のお誕生日をお祝いしたシスターマリア濵﨑セリに聖母の園老人ホームでショ-トステイをしているあいだに、数回に分けてインタビュー致しました。

― シスター濱﨑の出身地はどこですか?

長崎県の北松浦郡(現在の佐世保市)、わたしの家のあった所に今では教会が建っているのよ。

― 生年月日はいつですか?

大正5年12月10日よ。  

― 1916年生まれ、100歳ですね。どのようなおうちでしたか?

父はとっても優しい人で、手をおいていろんな人の病気をあてることが出来る人だったの。いつもお祈りをしていたわ。あんまり丈夫な人ではなかったので家はとても貧しかったの。でも食べていくのには困らなかったわ。母がこまめにいろいろしてくれたからね。母はしっかり者で気性の激しい強い人でね、わたしは母に似ていると思うわ。兄弟は兄と姉とわたしだったの。兄はとっても優しくってね、わたしはとっても可愛がってもらったの。

兄はかわいそうだったのよ。兄は母のお姉さんの子だったの。父と母はなかなかこどもを授からなかったのでお姉さんの子をもらったの。その時母のお姉さんはこう言って兄を母に渡したそうよ。「たくさんの子があっても、わが子はどの子もみんな大切でかわいい…。」って言いながら兄を渡してくれたそうよ。それからしばらくして姉とわたしが生まれたのよ。母はわたしと姉を可愛がったけれど、兄にはそうではなかったの。兄はとってもかわいそうだった。 

― どのようにしてFMMに入ったのですか?

ずっとシスターになりたかったの、小さい頃からね。近所に〝マリアの宣教者フランシスコ修道会〟に入っている人がいてね、帰ってきたらいつも修道院のことを話して聞かせたの。山崎イサと言う人よ。小さい頃にはイサ姉さんによく背負われていたのよ。

わたし、21歳で修道院に来たのだけれど結核になって、聖母病院で肺の手術を受けたの。それで入会の許可が出なくて、母の所へ帰って健康が大丈夫といわれるまで待ったの。30歳を過ぎてから入会の許可が出て、ようやく願いがかなったの。長かった。当時としたら遅い入会だったの。うれしかった。 

― FMMになってからの歩みを聞かせてくださいますか?

あらかた忘れてしまったけれどね。幼稚園の普通免許をとったのよ。でも試験はなかったの。勉強は好きじゃなかったわ。それから保母資格もとったの。熊本県の人吉や神戸西宮の修道院で幼稚園や保育園で働いたのよ。山形県の鶴岡の教会に派遣されたこともあったわ。それから後はずーっと、50年くらい、ここ戸塚にいるの。町も道路もいろんなことが変わったわ。これはホントウよ。 

― 今どのように感じていますか?

FMMに入れて、毎朝、ごミサにあずかれて、ご聖体を頂いて、ご聖体の前でお祈り出来て幸せよ。「神様。イエス様。ありがとうございます。今日もまたありがとうございます…。」大きな 大きな 大きな 大きなお恵みよ。長い間にいろんなことが変わった。私も変わらなければならないね。 

― 今の若い人たちに何か伝えたいことはありますか?

修道生活は神様からの大きなお恵みよ。 

戸塚修道院で長く香部屋(サクリスチン)の務めをされて、沢山の修練者に典礼の中で香部屋係りの大切な役割、祈りを陰から支える所作や聖堂に活けるお花の栽培等しっかり教えてくださいました。時に厳しく時に優しく。当時、修練者達は、Sr.濱﨑に懐かしさと親しみを込めて「おばば」と呼んでいました。今振り返るとその当時、シスターは60代だったのでした。フランシスコの小さき者の道を生きる姿を通して後輩のシスター達に教えてくださっているSr.濱﨑、これからもよろしくお願い致します。