マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

Sr. マグダレナ 柳 根玉(ユ クン オック)の巻

シスターは日本にいらして何年になりますか? 

7年3か月になりました。

終生誓願式

終生誓願式

日本と韓国とは随分違いがありますか? 

私にとっては日本と韓国はあまり変わらないと感じています。過去の歴史で両国の間にいろいろなことがあったことなど、学校で学びましたが、私の家族にとって、日本は近い国でした。祖父が日本の大学で建築を学び、それを生かして韓国で建築の仕事をしていましたし、2番目の兄は日本があまり好きではありませんでしたのに長女がやはり日本の大学で学び卒業しています。その間、兄も義姉も日本に行ったり来たりしていました。

 

シスターも子どもころから日本に来たいと思っていたのですか?

そんなこと考えたこともありません。私はずっと「夢見る少女」のようなところがあって、青空、虹、緑、田んぼとか大好きでいつも「雲の中にいる」ようでした。本当に現実を見たり、地に足を付けて物事を考えるようになったのは大人になってからでした。

子どもの時からカトリックの信者だったのですよね?

それが違うのです。私の祖父だけが熱心なカトリック信者でした。私はおじいちゃんが好きで毎朝ごミサにあずかる祖父と一緒に教会には子供の時から毎日行っていました。私が小学校の5年生の時にその祖父が亡くなりました。亡くなるときのことが今思っても不思議なのですが、父はソウルに仕事に行っていて留守だったのですが、いつものように夕食をした後、祖父が私たち子ども6人を呼んで(私は4番目です)、「両親の言うことを良く聞いて、立派な人になるように」と話しました。祖父の話が終わって子供たちは部屋を出たのですが、そのまま祖父は母と話をしながら天国に旅立ったのです。まったく予期しない出来事でした。教会も近かったし、邦人修道会も近かったので、祖父の訃報を聞いたカトリックの神父様やシスター方や信者さんがたくさん集まってきて、習慣に従って玄関先にはテントが張られ、3日間来た人々には食事をふるまい、いろいろなことがあったのに「夢見る少女」の私はそんな時も現実離れしていました。その出来事をきっかけに邦人会のシスターが毎日来て姉に『入門講座』に出るように勧め、勉強が始まりました。続いて、上の兄、すぐ下の弟と私も入門講座に出るようになりました。

 同期のシスターたちと

同期のシスターたちと

そして洗礼を受けたのですね?

その年の12月、姉と弟、私が洗礼を受けることになったのですが、洗礼式の日、私は学校の掃除当番に当たっていて、掃除を全部し終わって急いで教会に行ったのに、洗礼式は終わっていて、私は洗礼が受けられなかったのです。「どうして待っていてくれなかったの?」と言ったら、「50人も受けるのに、あなた一人のために待たせることなんてできない」と言われました。洗礼は受けられなかったけど姉と二人で、毎朝教会に行っていました。中学校の時も、修道院に入るまで毎朝ごミサに通いました。それが楽しみで。ご聖体をくれなくても、「神に祈る」、それでいい・・・と思っていました。でも本当は羨ましかった・・・。

高校を卒業して、カテキスタの勉強の申し込みをしたのです。洗礼も受けてないのに。昼間は仕事をして、通信教育で『出エジプト記』『聖パウロの宣教旅行』を学び、レポートも書きました。通信の勉強は続きましたが、その頃家を離れソウルに出ました。家庭教師をしながら、カトリック新聞社に勤めました。そして22歳の時にやっと洗礼の恵みをいただきました。

私の実家はソウルから車で1時間ほどの温陽(オンニョン)と言う所なのですが、その頃一番下の弟がソウルの学校に転校してきて、2番目の兄と3人で暮らしました。韓国では洗礼を受けるとレジオ・マリエに皆入ることになっていたので、聖書の勉強、レジオの活動、仕事と大変忙しく、兄とよく喧嘩をしました。私は下の弟が大学に入るまで面倒を見なければ…と思っていたので、それでもがんばって食事作りはしていました。そして弟がイエズス会の大学に入ったので、今度は真剣に自分のことを考えました。

修道院に入ることですか?

私の実家から10分くらいの所に邦人修道会があり、戦後の貧しい暮らしの時、ここのシスターがホスチアを焼いていて、いい匂いが漂っていてよく遊びにいきました。時々シスターはホスチアの切れ端をくださるので楽しみでした。どちらかというと姉が修道院に入りたかった。姉が修道生活について聞きに行く時、一緒について行きました。そのとき不思議だったのは、質問しているのは姉なのに応えるシスターはいつも姉ではなく私の顔を見ながら話すのです。

将来のことを真剣に考えていた私は主任司祭に相談しました。そのとき彼は「入るのなら『マリアの宣教者フランシスコ会』が良いだろう」とおっしゃいました。子供のころからマリ・ド・ラ・パシオンの本を読み、その本を大切にしていたので知っていました。神父様のお母様の代子二人がFMMに入っていて、プサンの修道院にいたこともあって勧められたのです。それで2月にFMMに電話をしました。そうしたら、次の日にいらっしゃいとのことで行きました。アシジの聖フランシスコについて何も知らなかったので、聖フランシスコの本を読むよう言われました。3月に召命黙想会があるのでそれに行きました。そして4月にFMMから予定していた志願者1名が来られなくなった、その時あなたから電話が来たので、聖霊が彼女の代わりを送ってくださったに違いない…ということで、あっという間に、何も知らないのに私が志願者として迎えられることになったのです。

ご両親は修道院に入ることを許してくださったのですか?

なかなか話せませんでした。でも意を決して父と母に「試したいことがある」と言いました。「何を試したいの?」と聞かれ、「修道生活を練習してみたい」と答えると、「修道生活は死ぬまで行く所で試すようなところではありません」と言われました。

父はもともと口数の少ない人でしたが、何も言わなくなりました。それには困りました。うちの家系は男性ばかりで女性は姉と私だけ、だからなおさら「とんでもない」ということだったのだと思います。でも私は「試させてください」と決意を言いゆずりませんでした。2番目の兄も猛反対でした。修道院には布団など持っていかなければならなかったのですが、ちょうど修道院から退会してきた人がいて、その方がいらなくなったものをくださり助かりました。そして志願者として受け入れていただきました。一緒に志願期を始めたのは8人でした。

修道院に入っていかがでしたか?

修練長様からは一人欠けたところに『聖霊のプレゼント』と思ってあなたを受け入れたけど「喧嘩のもとになった」と言われました。そして翌年の7月9日に着衣式を受けてノヴィス(修練者)になりました。その前に兄が連れ戻しに来ましたが、父の還暦の時には帰ると約束して引き取ってもらい同期のシスターたちと一緒につづけました。父の還暦の時、お許しをもらって家に帰りました。そのとき腰まであった長い髪はすっぱり切られていて、父母は本当に驚き、がっかりしたようでした。

寄宿舎で

寄宿舎で

初誓願を立ててからは、いろいろな経験をさせていただきました。働きながら夜間学校に通う女性たちの寄宿舎で働きました。フィリピン人のシスターが舎監でしたが、寄宿生たちとはとても良い関係が築けて楽しく働きました。その間に『労働法規』などを学びました。その後神学の勉強を2年間し、資格を得ました。そして終生誓願の準備を6か月し、終生誓願を宣立する恵みをいただきました。終生誓願を立てる時まで両親は私の部屋も持ち物も、家を出た時のままの状態で保っていてくれました。しかし、終生誓願を立てた途端、兄が中心になって私のものを全部処分したのでした。私はすっかり身軽になりました。そして私が終生誓願を立てたときに両親も洗礼を受け、家族全員キリスト者になりました。

老人ホームで

老人ホームで

その後の派遣先は?

「認定こどもの家」で共働きの子供たちの世話を1年しました。その後料理専門学校で1年学び、続いて6か月大学の食堂で栄養学を学びました。再び以前働いたことのある寄宿舎で今度は舎監として3年間働きました。その後国からの援助を受けながらFMMがしているホームレスの方々の世話を5年間しました。毎日500食を20人のボランティアさんと一緒に作りました。

その後1年間の休暇(サバティカルイヤー)をいただき、フランシスカンディプロマ・コースを取り、資格をいただきました。

その翌年、2005年に日本にきました。その時には、日本語の勉強と熊本で1年間宣教者として働きました。韓国に戻り、老人ホームでご高齢の方々とのかかわりを生きました。2008年再び日本にゆくことが決まった時、それを聞いた母はショックから具合が悪くなり、心臓の手術を受けることになって、出発が延びました。毎日母に付き添うことができたのは、幸せでした。母が回復したので日本に向けて旅立ちました。

日本に来てからは、熊本、戸塚、そして今は東日本大震災の復興支援のために宮城県の亘理修道院で3人の姉妹と共に生活をしています。

随分いろいろな体験をなさいましたね。今思うことは?

不思議な気がします。『どうしてこんなことが…』と思うようなことでも神様がちゃんと導いてくださるのです。子供のころから教会に通い、祈ることが好きでした。祈りに応えてくださる神様がいつもいて、人間がこうしよう…ではなく神様が整えてくださる。何があっても信じること。何があってもいつも神様が備えてくださるのです。この歩みは神秘に満ちていると思います。

修道院に入って、FMMになってよかったと思うことは人と人との出会いの中に、神様が生きておられる…それがすごい…。私の信仰の中でも、復活の信仰、それは人と人との出会いの中で実現されてゆきます。復活は出会いです。出会いの中で、しかもそれが変わらない毎日の出会いであっても、そこに神様がおられ、一番必要なことを用意してくださるのです。そのような神秘を、今日も、これからも、生きていくでしょう。とても感謝しています。

今日はご自分を分かち合ってくださってありがとうございました。