2025年5月に片瀬江の島駅より5分のところにある片瀬教会を10名のシスター達と訪問しました。片瀬教会は日本家屋のような造りです。外側は瓦屋根に漆喰の白壁、内側は木の床の上、木製の長椅子が祭壇に向かって並べられています。…
FMM日本管区の歩み-84
管区長 マリ・ピエ-ル・ド・ジェズの帰天 1940年(昭和15年)、激動の幕開けを迎えていた世界。軍事政権の登場によって世界を相手に大戦争の影が忍びこんでいた日本。そのような不穏な動きの中で「日本殉教者の聖母」管区が遭…
祈りの集い【10月】フランシスコと共に
FMM日本管区の歩み-83
1938年の総評議会 1938年 (昭和13年) 6月11日、管区長のM.ピエ-ルは10月に行われる総評議会に出席するため、ロ-マへ派遣される有期誓願者のM.ネリア(村田敏子)と一緒に横浜港を出航しフィリピン経由でロ-マ…
シンガポールセクターの志願者より
「フィリピンのクバオを一言で表すとしたら?」と誰かに尋ねられたら、私は「ジプニー!」と答えるでしょう。クバオはマニラ首都圏ケソン市の商業の中心地であり、交通の要所でもあります。そこでは、ジプニーが主な公共交通機関として利…
FMM日本管区の歩み-82
1930年代における本会の動き このようにアジアとヨ-ロッパの両大陸で、言わばナチズムと共産主義が横暴している世界情勢の中で会長に就任したM.マルグリットは、本会のフランシスコ会入会50周年記念を迎えて、全会員にフランシ…
教皇フランシスコの思い出
私がフィリピンに派遣されていた時(2015年)、教皇フランシスコがいらっしゃいました。ニュースなどのメディアで、訪問中の人々との出会い、お言葉を詳しく知ることができました。その中での一つのエピソードが私の人とのかかわりに…
FMM日本管区の歩み-81
軍部の思想統制に対して日本の教会が選んだ道ー② しかしロ-マが目指していたキリスト教の文化的受肉と土着化に対して、適切な理解を示さない宣教師もいました。マレラ大司教は宣教会と修道会の外国人上長宛に度々通達や指令の小冊子を…
FMM日本管区の歩み-80
軍部の思想統制に対して日本の教会が選んだ道ー① M.ピエ-ルが首都の東京に管区館をおき、横浜修道院の創設、正規修練院の確立、事業の近代化を実現させた1930年代は、日本の社会変動に伴い教会が存続の危機に遭遇していた時代で…