マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

「私がおなかを痛めて産んだ子」

「母の命日」が近づいてきました。たくさんの思い出の中で、今の時期になると思い出すエピソードがあります。

あれは弟が反抗期真っ盛りの頃のことだったでしょうか。ある晩、父と母が言い合っていました。普段穏やかな母が、「〇〇〇は私がお腹を痛めて産んだ子です。お父さんにそんなにボロクソに言われる筋合いはありません!!!」ときっぱりとした口調で言いました。父はその気迫に押されたのか、黙ってしまいました。私は、「お母さん、すごい!!怖いお父さんにあんなにはっきり自分の気持ちを言って、息子を守るなんて!!でも、何だかあの論理は少し筋が通ってない気もするけど。」と思いながら、母のこの強い言葉を、狭い家の中で、弟は聞いただろうか?と気になりました。

 「私がお腹を痛めて産んだ子」という母の言葉が、父なる神様の「私の愛する子」という言葉と重なります。そして、私が誰かにボロクソに言われているような気がするとき、イエス様が相手の前に立ちはだかって「これは、私が命をかけてあがなったきょうだいだ。あなたに、そんなことを言わせない!!」と おっしゃってくださっているのかなと 心強く思い、また、逆に私が誰かにひどく腹を立てているとき、イエス様は私の前に立って、同じことを私に向かっておっしゃっているのかな? と反省させられます。

 このみ心の月に、優しく強かった母の愛を三位一体の神様の愛と重ねながら、自分の在り方を振り返ってみたいと思います。 

  (Sr.K・O