マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

「おいしかったよ。ありがとう」

 「3食ともおいしくない、というのはおかしい」

そう言われて、平地だと思っていた道にあった段差につんのめった、かのように、身体が硬直した。5月の連休中、神奈川県にある修道院に泊めてもらったときのことだ。東京では、朝食は5分でトーストをコーヒーで流し込み、昼食はお茶碗にご飯を盛った途端に職場から電話で呼ばれる。そして時間がある夕食時には胃がむかむかする毎日だった。

「おかしい」と言ったシスターIは、実に静かに料理をする。手の動きはよどみないが、せわしくはない。するすると音もなく、何品ものおかずが盛り皿に取り分けられていく。

「小田原で買ってきたのよ」と、20cm位の干し魚を袋から出した。淡紅色のカラダの先端から鋭い歯をむき出した口を大きく、開いていた。ガスレンジの上に網を出し、「おお、こわいね」と歯をつつきながら、Iは魚を並べた。食欲をそそる香りがほのかに立つと、木の菜箸でひっくり返され、もう片面も焼かれるころには、網の上で少し身をよじらせ、一回り小さくなった。ほんのり湿っていた身は、乳白色になっていた。

私たちは食堂のテーブルに移り、魚の上に顔を近づけた。メガネがないほうが近くのものはよく見えるので、外して皿の横に置いた。一口目は背骨がついていないほうの半身から、パクリ。油っ気の少ない淡白な味でありながら、絶妙に肉厚な身の奥まで潮味がしみ込んでいた。

「おいしい!」思わず、声が漏れると、

「そうでしょう。ちょっと奮発しちゃった」とはずむ声の方へ目を上げると、うれしそうな、「どう?」という顔が見えた。

背骨のない半身の上にかがみこみ、箸の先を駆使してすっかり平らげると、背骨側の半身に取りかかった。頭の上の細い、しっかりと詰まった身まですっかりきれいにして、ようやく満足した子ライオンのように、魚皿から顔を上げた。

味などしない。どれもこれも、今日の仕事をやり遂げるため、次の食事まで、明日までを乗り切るための燃料にすぎなかった。 車が 「ああ、おいしいガソリンだ」 と言わないように、だ。

私はクルマなんぞではない……のに!             (Sr.M.O)