マリアの宣教者フランシスコ修道会 日本セクター

Sr.アスンタ南雲春江の巻

*  洗礼はいつ、どんなきっかけで?

私は新潟県上越市で10人兄弟の末っ子に生まれました。材木屋をしていた家には仏壇と神棚が両方あり、お水やお供えをあげるのは子どもたちの役目でしたし、ほとんど毎日両親と一緒にお祈りもしていましたよ。毎年大晦日には、父が長〜いお経を唱え、子どもたちは正座をしてじ〜っとそれが終わるのを待つ…というのが恒例でしたね。時々、托鉢?に来た尼さんを泊めたりすることなどもあって、子ども心にお布団からのぞく坊主頭が怖かった!という記憶もあります。とにかく何でも“昔風”にしつけられて育ちました。
教会に初めて出会ったのは高校を卒業してからです。友人の家の近くに新しい教会が建築中で「塔が見えるよ!」と聞き、兄と一緒にそのそばを通った時、なぜだかものすごく胸がドキドキしました。それからどうしても一度訪ねたいと思い電話を入れたところ、「次の日曜日に最初のミサがあるからどうぞいらしてください。」と誘われて、生まれて初めてミサに参加しました。ちょうどクリスマス・イブでしたね。それがまたフランシスコ会が司牧する教会だったんですけど、当時はフランシスコ会はおろか、カトリックもプロテスタントも知りませんでしたから、とにかくミサも何もさっぱりわからなかったのですが、偶然その教会で学生時代の友人とばったり再会し、お互いに「なんでここにいるの〜?」と驚きつつも、じつは信者だったその友人からすぐにイタリア人の神父さまに紹介されて、成り行き上、それから要理の勉強に参加するようになりました。でも、何回か行ったらすぐに飽きてしまって、しばらく行かなかったり、また行き始めたり…なんて感じでしたけれど、何とか翌年の8月15日被昇天の祝日に洗礼を受けました。

*  修道生活を考えたのは?

受洗後にたまたま写真雑誌で北海道のトラピスチヌ修道院の写真を見て、「私もこういう生活がしたい!」と思ったのが最初ですかねぇ。またちょうどその頃、教会のカテキスタをしていた方が研修に行くため、その留守の2年間教会の仕事を手伝ってほしいと言われたんです。でもまだ信仰も深まっていないし、聖書も何も知らなかったので、とにかく2年間だけという期限つきで手伝うことにしました。教会の近くにいれば、修道生活への道も開けてくるかなと思い手伝っているうちに、そのカテキスタの方が戻ってこないことになってしまったんです。でも私がこのまま教会の手伝いを続けることには限界を感じて、もっと勉強をしたいと思うようになり、名古屋のカテキスタ学院に行くことになりました。
その頃はすでに「まことの智にいたるまで」を読んだことがきっかけでアシジのフランシスコが大好きになっていて、「フランシスコ会に入りたい!」とまで言ったのですが、「うちは男子の修道会だからね…」と断られてしまい、仕方なくフランシスカンの女子修道会を探し始めていたところ、カテキスタ学院にFMMのシスターも研修に来ていたんです。でもすぐに「ここだ!」というわけでもなかったんですが、知り合いになった縁で、夏休みに聖母病院の洗濯場でアルバイトをさせてもらうことになり、そこで実習のために来ていたFMMの修練者と一緒に働きました。彼女とフランシスコの映画「ブラザー・サン・シスター・ムーン」の感想などを分かち合ったりして、いろいろな話をしましたね。じつはそれまでFMMについては、大きな病院や学校を経営している管理者みたいで、大好きなフランシスコの理想とはかけはなれている!と思っていたのですが、修練者と分かち合ったり、病院で働きながら毎日ご聖体の前で祈っているシスターたちの姿を見るようになって、「私は外側からこの会を批判しているけれど、もし中にはいってみたら、案外本当の精神がみえるかもしれない…」と、興味を持つようになり、それからFMMと関わりを始めたというわけです。そして私がカテキスタとして小教区で働くことを期待していてくれた神父さまにも、「FMMに入りたいと思っている」と話したところ、「カテキスタでも修道者でも教会のために働くことに変わりはないよ。」と理解してくださいました。それからはアスピラントとして聖母病院で過ごしましたが、毎日の聖体礼拝のたびに、神さまの存在を実感しつつ、シスターたちはこの方に一生を賭けているんだ…という思いを強くして、志願期、修練期へと進み初誓願を立てました。

*  誓願後はどのように?
初誓願後は、鹿児島、熊本などに派遣され、小教区でカテキスタをしたり、いろいろな仕事を体験しましたが、終生誓願を立てた後、初めて研修のためにフィリピンに行く機会があり、それが私にとっては大きな転換の体験となりました。
フランシスコの貧しさに惹かれていたと言いつつも、実際に貧しさの体験を初めてしてみて、「私の貧しさの体験は期限付き…でもイエズスは?初めから3年間だけ…なんて予定していたはずがない…」と考え始め、それまで私は自分のミッションは日本だとずっと思っていたけれど、それを覆すひとつの呼びかけを祈りの中で聞きました。自分の弱さ、足りなさ、やりたくない…という思いにかかわらず、神様からの呼びかけは“出て行くこと”でした。それで帰国後自分でも思いがけなく海外派遣希望の手紙をローマの会長に送ってしまいました。でも結局それから返事が来るまで2年くらい待つことに…長かった〜!その間やっぱりあ〜でもない、こ〜でもないと、色々悩んだりしましたが、返事が来ないということは神さまのお望みではないんだとあきらめた頃、ケニアに行くようにとの返事が届いたんです。
それから、ローマに行って創立者の足跡を振り返るコースに参加しました。もともと私はフランシスコに惹かれて入会したので、終生誓願まで立てておきながらも、創立者のマリ・ド・ラ・パシオンにはあまり親しみがなく、少々遠い存在だったのですが、フランスのシャトレという、創立者が汗と涙を流しながら祈った場所で、創立者に祈りを願いました。そして、その祈りへの返事は、“その時の計画”をおいてすぐローマに戻り、派遣されたケニアに向かうことでした。彼女の生涯を振返ながら、FMMのミッションの本当の意味、私の計画、私の思いをすべて置いて、すぐに、いつでも、どこにでも…という生き方を見せてもらったように思います。そしてそれがほんとうにフランシスカンの貧しさでもあり、それを通して真に自由になっていくということも、様々な体験の中で少しずつ気づかせていただきました。長い間乗り越えることができなかった悲しい思い出や不条理と思える出来事に対しても、無意識にそこにしがみついて、自分のものとしていつまでも取っておこうとする自分自身の囚われから、ひとつずつ自由にされていく歩みを今も続けてきています。

*  ケニアから日本に戻って、これからは?

22年間のケニアでの生活を終えて、昨年からまた日本管区に戻ったいまは、エジプトの肉鍋じゃないけれど!過去にしがみついて思い出に浸ることよりも、いま置かれた現実の中で、学ぶこと、自分を差し出すことを精一杯生きていきたいと願っています。よく、先が見えないから動きがとれない…というような言葉を聞きますが、結局、先のことは誰にもわからないんだからねっ。“あの方”がしてくださるんだから!あてにならない自分の才能や経歴などではなく、神さまの計画に飛び込んでいきたいと思います。どんな計画?もちろんそれはわからない!!